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BRICS・グローバルサウスニュース
写真報告: エジプト学者はペルミの
ミイラ石棺の所有者を特定
ペルミギャラリーで古代エジプトの
「ちょっと怖い展覧会」が開幕

ダニール・ポスタノゴフ URA.ru

War on Ukraine #4792 20 Mar. 2024


ロシア語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
E-wave Tokyo 2024年3月21日

オクローバのペルミ美術館でのエジプトのミイラの展示 ミイラはテルタのペルミ ギャラリーの仮設建物で見ることができる 写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU

 ※注:エジプトは、昨年秋のBRICS南アフリカ総会でBRICSへ加盟した。
    
本文

 ペルミ美術館は、テルタの仮設敷地内で古代エジプト文化に特化した新しい展示会を開いた。歴史上 3 回目、修復後は初めて、博物館には紀元前 3 世紀から 1 世紀のものの 2 体のミイラが展示される。

 ペルミの住民が最後にそれらを見ることができたのは 1998 年から 2000 年であったが、それ以来多くの変化があった。特に、科学者たちは石棺の所有者の名前を突き止めた。彼は紀元前約1069年から紀元前945年に生きた司祭ヘルミパラであることが判明した。

 「石棺には絵や碑文が残っている。こちらは防腐処理の神アヌビスの像で、署名が入っている。次に、礼拝の姿勢をとった人物が描かれている。これは石棺が属していた故人自身である。「vap」と書かれている - これは敷地を浄化した司祭である。そして彼の名前はハーミパラです」と科学コンサルタントのアルカディ・ゼンコフ氏は展示会のプレス内覧会で語った。

 長年の研究により、ペルミ博物館の2体のミイラが保管されている石棺も彼らのものではないことも明らかになった。ミイラと石棺自体は異なる時期に作られた。一般の人々は、ペルミ美術館で「ちょっと怖い展覧会」と呼ばれていた3月21日から、古代エジプトのこれらの秘密や他の多くの秘密を学ぶことができる。

 写真はURA記事忠に公開された6枚を以下に掲載する。


石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU


石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU



石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU


石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU



石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU



石棺は司祭のものだったが、中には別人のミイラが眠っていた
写真:ルスラン・ヤロツキー © URA.RU


本稿終了