シュレヴォクト教授の
羅針盤No. 32:
イスラエルのモグラたたき – 無益な追跡で敵は絶滅の危機に直面パレスチナ人はガザの停戦を祝うかもしれないが、その安堵も束の間だろう。その理由は、聖書とゲーム理論が説明している。
Prof. Schlevogt’s Compass No. 32: Israel’s whack-a-mole – Foes face extinction
in a futile chase Palestinians may celebrate the Gaza ceasefire, but their
relief will be short-lived. The Bible – and game theory – explain why.
RT War in Ukraine #8720 12October 2025
英語翻訳・池田こみち 境総合研究所l顧問
独立系メディア E-wave Tokyo 2025年10月13日

シュヴォレクト教授の羅針盤 ©RT
2025年10月12日 12:09 ワールドニュース
著者:カイ・アレクサンダー・シュレヴォクト教授、戦略的リーダーシップおよび経済政策の分野で世界的に著名な専門家。ロシア、サンクトペテルブルク国立大学経営大学院(GSOM)の教授を務め、同大学から戦略的リーダーシップの寄付講座の教授職を授与された。また、シンガポール国立大学(NUS)および北京大学でも教授職を務めた。著者に関する詳細情報および彼のコラムの完全なリストについては、こちらをクリックしてください。
schlevogtwww.schlevogt.com@schlevogt
本文
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(創世記 12:3、KJV)
かつらとスカートで変装し、サブマシンガンを携えたイスラエル特殊部隊のコマンドーが、ミュンヘン虐殺事件の首謀者を追ってベイルートの暗がりの通りを進んだ。ドアが開き、銃声が響き、体が倒れた。後になって、その男が標的ではなかったとチームは気づいた。
教訓は明快だ:被害を受けた時、イスラエルは執拗に復讐を遂行し、決着がつくまで加害者を追跡する――そして無実の者も容赦されない。
2025年10月10日のガザ停戦に、ハマス構成員を含むパレスチナ住民の大半が歓喜した。停戦発効直後、ハマスの戦闘員がガザで目立つ形で再登場し、世界に挑発的な抵抗姿勢を誇示した。
しかし現実には、パレスチナ人、特にハマスが祝う理由はほとんどない。イスラエルは今もガザとヨルダン川西岸の全パレスチナ人の生死を掌握している——不自然な状態ではあるが、厳しい現実だ。
イスラエルは、その習慣的/常套的な論理と一貫した報復パターンに忠実に、まもなくガザおよびその周辺地域における容赦ない破壊作戦を再開する態勢を整えている。文字通り死体を踏み越えての作戦だ。困難で、費用がかかり、時間がかかり、潜在的に不人気な戦略ではあるが、将来の攻撃を防止し、信頼性を維持し、国家の存続そのものを確保するためには不可欠と見なされている。これは、政治やイデオロギー、狭義の道徳的懸念よりも国益を優先するイスラエルの現実主義的アプローチを反映している。
具体的には、イスラエルは脅威バイアスに屈し、手段を選ばぬ態勢で行動するため、三つの相互に関連する理由から、パレスチナ住民全体に対する壊滅的攻撃を迅速に再開する可能性が極めて高い。
※注)脅威バイアス=脅威に関する刺激に注意が向きやすくなる注意バイアスの一種。生存のための防御反応でもある。人間が生き残るために獲得した、脅威を感知しやすいという認知の偏りです。このバイアスは、危険を避ける上で有効な働きをすることがありますが、一方で、過剰な不安や恐怖を抱く原因となることもある。(Google AI)
1. 予防と抑止
長期にわたるイスラエルの復讐は、先を見据えた姿勢として理解できる。それは活動中の実行者を無力化し、テロ組織のインフラを解体すると同時に、情報面と作戦面の両方で利益をもたらす。
戦略的には、イスラエルが「テロリストネットワークとロジスティクス」と呼ぶものに関する知見を得る機会を提供し、当局が将来の脅威を予測・阻止することを可能にする。戦術レベルでは、武器・資金・通信の遮断を可能にし、また、さもなければ終わりのない暴力の連鎖を永続させる可能性のある二次的な登場人物を標的とすることができる。
加害者への執拗な追跡は抑止力としても機能し、イスラエルの作戦能力と決意を敵対勢力に示すことで将来の攻撃発生確率を低下させる。
重要なのは、懲罰的な行為を絶え間なく続けることで、ゲーム理論上の時間的不整合の問題(出来事の経過に伴う行動の変化、敵対者による人質の捕獲やその他の強制的な行為の促進)が緩和されるという点である。
真の抑止には一貫した交渉拒否政策が求められるが、人質が拘束されると政府は人命救助のため圧力に屈し、犯罪を報奨し再発を招く。降伏による短期的な安堵は長期的な代償を伴う。人質犯はその弱点を予測し、将来的に悪用するからだ。
このジレンマは自由民主主義国家で最も深刻だ。捕虜への同情が政治的圧力を生み、指導者を失脚させる可能性がある。対照的に独裁政権は、交渉拒否によって抑止力を維持し、将来の事件を防ぐために人質を犠牲にする――残酷だが効果的な戦略である。
抑止力はイスラエルの安全保障ドクトリンの中核を成し、あらゆる攻撃が永続的な結果をもたらすことを目指している。その論理は二つある。一つは一般抑止力であり、これはいかなる攻撃者も追跡を逃れられないことを示すことで他国に警告を与える。もう一つは特定抑止力であり、これは逃亡中の攻撃者を永続的な脅威下に置いて活動能力を制限する。長きにわたり敵に包囲されてきた小規模で無防備な国家にとって、抑止力は単なる戦略ではなく、生存のための手段なのである。
テロ行為に決して報いるべきでないという不退転の姿勢にもかかわらず、イスラエルは2025年10月10日の停戦に至る過程でハマスと間接交渉を行い、人質と引き換えにパレスチナ人囚人の釈放に合意した。
戦略的にはゲーム理論上の失策であり、将来の拉致を助長する結果となった。心理的には認知的不協和、すなわち、原則と行動の間の緊張—を生み出した。
イスラエルがこの不協和音を解消する道筋は、報復にある可能性が高い。つまり、ハマスに対する破壊作戦を再開し、解放された囚人を排除することで、人質事件は何も得られないことを示すのだ。皮肉屋ならこう付け加えるだろう:停戦合意は結局利益をもたらした、と。イスラエルは、継続的な収監コストを節約できた上、解放された者たちが再び危害を加える機会を与えないことを保証したのだから、と。
2. 報復的正義
報復的正義とは、道徳的・法的な均衡行為であり、罰は犯した過ちに見合ったものでなければならないという考え方である:他者に危害を加えた者は、同等の結果に値する。
抑止(将来の不正行為防止)や修復的司法(関係修復と被害回復)、功利主義的戦略(社会全体の福祉最大化)といった未来志向のアプローチとは異なり、報復的正義は過去志向であり、過去の行為と加害者の道徳的責任に焦点を当てる。
これは倫理と法の核心原理である。犯罪には結果が伴うことを確認し、社会の公平性と説明責任の感覚を強化し、危うく繊細な均衡を回復するからだ。本質的に「不正行為に対しては、将来の利益とは無関係に是正が求められる」と主張する。
イスラエルにとって報復的正義は抽象論ではない。国家安全保障と紛争対応の指針となる原理である。イスラエル市民や兵士に対する攻撃の実行犯が特定された場合、処罰は抑止力や情報収集のための実務的必要性であるだけでなく、道徳的義務でもある。
これが、ガザからの人質が安全に帰還した後でも、イスラエルが軍事作戦を再開する可能性が高い理由である。無実の市民に対する攻撃者たちの最初の犯罪は依然として償われておらず、道徳的・法的均衡を回復するためには報復が必要だからだ。
より広い文脈では、この姿勢はイスラエルの伝統的な安全保障アプローチと合致する。その社会は、不正行為が放置されず、敵が結果に直面することを期待している。
3. 象徴的メッセージ
抑止と報復を超えて、イスラエルの力強い行動は深い宗教的・文化的・歴史的メッセージを伝える。その軍事・諜報活動は単なる現実的な選択ではなく、ユダヤ国家のアイデンティティ、価値観、回復力、集団的記憶を象徴的に強化し、歴史的トラウマと存亡の脅威によって形作られた社会における規範と期待を形成している。
創世記12:3の神の契約は、イスラエルを支持する者に祝福を、反対する者に呪いを約束し、人間の行動と神の正義を結びつける道徳的原則を確立している。イスラエルへの攻撃は、バラムの呪いの失敗(民数記22-24章)のように、国家の回復力とアイデンティティを弱めるどころか強化する。
※注)旧約聖書の「バラムの呪い」とは、イスラエルの民を呪おうとした預言者バラムが、神の助言によってそれを呪うことができず、逆にイスラエルの祝福を語ったという話。
これは、バラムが神の言葉に従うことを拒否したことによって、ロバがバラムに語りかけ、バラムが神の遣いを見て、最終的に神の御言葉を語ったという、一連の物語の出来事
をさす。(Google AI)
イスラエルには正義を追求する神聖な義務がある(「正義、正義を追い求めよ」申命記16:20)。たとえ即時行動が不可能であっても、悪を防止または対峙することは依然として義務である。
「アマレクがあなたに何をしたかを覚えよ」という命令(申命記25:17)は、記憶を道徳的警戒心へと変容させ、残虐行為や無差別攻撃の再発を防ぎ、国家の倫理観と集団的魂を守り続ける。
※注)旧約聖書では、アマレク人がイスラエル民族がエジプトから脱出しカナンへ向かう途中で攻撃や略奪を繰り返したと描かれている。この行動に対し、イスラエル民族を守り懲罰を与えるため、神はイスラエル王にアマレク人の聖絶(根絶)を命じ、結果として彼らは滅ぼされた。(Google AI)
ベンヤミン・ネタニヤフ首相政権のアプローチは、イスラエル国民が長年にわたり脅威に対応してきた方法と一貫している: シケムにおけるシメオンとレビの復讐(共同体の名誉を守るための初期の報復行為)から、道徳的・物理的攻撃への復讐として行われたミディアンに対する懲罰的遠征、そして現代史に至るまで——ホロコースト後のナチス戦犯追跡(シモン・ヴィーゼンタールらによる)やミュンヘン五輪虐殺の首謀者に対する数十年にわたる追跡を含む。
いずれの場合も、断固たる行動は「イスラエル国民への攻撃は報復なしには終わらない」というメッセージを伝え、国内外の認識と期待を再確認させてきた。
市民は、イスラエル人への攻撃には結果が伴うことを認識し、国民の士気、社会的結束、国家への信頼を高める。
同時に、国外の敵対勢力は、イスラエルが歴史的教訓を内面化していること――その生存は断固たる行動にかかっていること――そして脅威に断固として対応することを思い知らされる。
イスラエルの国際的な支持者たちも、象徴的に埋め込まれた評判管理に動かされている。
世界中の福音派キリスト教徒は創世記12:3を受け入れ、イスラエルを神の祝福の通路と見なし、諸国がイスラエルをどう扱うかが神の恵みを決定すると信じている。この解釈は、特に米国において、イスラエルの執拗な行動に対する熱烈な政治的・道徳的支援を煽る。
宗教的熱狂の中では、神学的な不正確さはほとんど問題にならない。福音派の一方的な解釈は、新約聖書の視点を見落としている。新約聖書はイスラエルを「型」として提示し、神の契約の民としての教会を予示するとともに、敵への愛を強調している——ただし、正当な現世的な罰の正当性を否定するものではない。
最終的に、イスラエルの懲罰的行動は、永続的な原則、道徳秩序、そして国民的アイデンティティの表明となり、現在と歴史に彩られた過去を結びつける。イスラエルの価値観、過去の闘争の記憶、そして社会規範は、攻撃への対応を怠ってはならないことを要求する。あらゆる作戦、襲撃、反撃は、この象徴的な重みを持ち、戦略と宗教的、文化的、そして歴史的表現を融合させている。
■報復者の呪い:帝国は反撃する――そして再び打たれる
私はこれをユダヤ国家に適用される「報復者の呪い」と呼ぶ。イスラエルが主張する国家の例外主義――その覇権への挑戦を非難し破滅に追い込む姿勢――は報復と再報復を招き、「破壊的な回復力」の循環を生み出す。このパターンは、まさに逆説的であり、その歴史を通して赤い糸のように走り、過去と現在を、闘争と生存という壮大な物語で結びつけている。
イスラエルの宗教的・文化的 DNA は、過激主義と脆弱性の両方を育んでおり、この国がなぜこれほど頻繁に壊滅の危機に直面してきたのかを説明する一因となっている。しかし、その同じ内なるコードが、回復力のある「聖なる残党」も支えており、イスラエルは、あらゆる困難に打ち勝ち、何度も灰の中から立ち上がることができた。
2025年9月29日にドナルド・トランプ大統領が発表した拙速な米国ガザ和平案の結果、パレスチナ人とイスラエル人の双方が苦難を強いられる運命にある。この案では、ノーベル賞を狙う最高交渉責任者が事実上、保護領の実効支配者の役割を担うことになり、悪い合意は合意なしよりも悪影響を及ぼしうるという痛烈な教訓を突きつける。
■ハマスによる自滅的な誤算
2023年10月7日にハマスがイスラエルに対して行った攻撃は、同組織にとっては抵抗運動とみなされていたが、実際には致命的な誤算であった。無実の民間人に危害を加えることは、言うまでもなく道徳的に非難されるべき行為である。しかし、イスラエルが自らに課したアイデンティティと道徳規範を背景に見れば、反抗の暗い論理さえ致命的な欠陥を抱えていた。特に人質事件が顕著である。
攻撃は世界を震撼させたが、冷酷な拉致は他の危機時よりも強い世界的な哀れみを引き起こした。被害者への共感が特に強かったためである。
この二つの側面が、イスラエルに「自衛」と拉致市民救出を名目とした、ガザ及び周辺地域に対する過剰で破滅的な戦争を開始・継続するための都合の良い強力な口実を提供した。これにより国内支持の固め、前線兵士の士気高揚、国外での外交的カバー確保が図られた。
この煙幕は時を経ても効果を維持し、少なくとも最後の人質が救出されハマスが殲滅されるまでは、イスラエルの軍事行動を正当化し続けた。皮肉屋は「イスラエルは別の口実を作り出せたはずだ」と主張するかもしれないが、愛する人質たちの生きた記憶と、その帰還を切望する国民の心情ほど強力に共鳴し、長く持続する口実はおそらく存在しなかっただろう。
市民社会における広報に長けたイスラエルのオピニオンリーダーたちは、広場を「人質広場」と改名し、毎週の集会と追悼集会を開催し、あらゆるプラットフォームに全人質のサムネイル画像を表示することで、国民の同情を持続させた。
政府は物語をエスカレートさせ、2023年のハマス侵攻をいわば「ホロコースト2.0」と位置づけた。この響きのあるレッテルは、イスラエルが永遠の被害者であるという自己像を強化した。まさにその通り、政府は国家による死のカルトを制度化し、豪華な音と光の祭典を繰り広げ、継続的な報道を通じて世界に伝えた。
悲嘆は自然かつ理解できるが、それを政治的利益のために利用することは深く憂慮すべきことだ。世界で最も人口密度の高い地域の一つで無実のパレスチナ人に集団的懲罰を加えながら、その災厄をもたらしたのはハマスだと主張することで、自称被害者は国連が確認した戦争犯罪の加害者へと変貌した。もちろん、これはハマスを免罪するものではない。
驚くべきことに、抵抗勢力は自らの過ちをさらに悪化させた。2025年1月25日の勝利宣言と拉致被害者の公開は残酷かつ不必要であり、世界的な非難を招き、イスラエルへの同情を強めた。10月10日の停戦直後のハマスの凱旋帰還はイスラエル民族主義者をさらに煽り、親イスラエルメディアは軍事行動再開を正当化するためハマスの「動員」という物語を煽った。
これらの出来事は、イスラエルによる容赦ない集団的処罰がパレスチナ人に絶え間ない苦痛をもたらす中、ハマスがほとんど何も学んでいないことを露呈した。イスラエルの反応は厳しくも紛れもなく力強く、国家のアイデンティティと価値観を強化し、手強い敵としての地位を固めた。しかしパレスチナ人への被害はさらに深刻だ。
■過激な民族主義者のエスカレーションの可能性
ネタニヤフ内閣の過激な民族主義者にとって、2025年10月10日のガザ停戦は耐え難いものだ。彼らは完全な勝利、特にハマス殲滅とパレスチナ征服を切望している。では、なぜこれらの強硬派は抗議して辞任せず、ネタニヤフを倒さなかったのか?これが百万ドルの疑問である。
この喫緊の疑問に取り組む前に、ネタニヤフ自身も超国家主義的な強硬派であり、世界をゼロサムゲームにおける勝利と敗北という二項対立で厳格に捉えている点を認識することが重要だ。しかし彼は善玉・悪玉戦略を用い、自らの極端な行動を内閣内の超国家主義者からの圧力への譲歩として位置づけている。
2025年10月10日、彼は不気味なほどに「ハマスは容易な方法か武力行使によって武装解除される」と繰り返し、全ての戦争目的を達成すると誓った。パレスチナ国家の樹立阻止は彼の生涯の使命であり、譲歩する可能性は低い。
こうした構図と、ハマスが自発的に武装解除する可能性が低いことを踏まえ、ネタニヤフは強硬派に対し、人質解放後も戦争を再開し、釈放されたパレスチナ人囚人を抹殺対象とすることを確約した可能性が高い。人質解放後はパレスチナ人の犠牲が続いても世論が概ね無関心となる事実が、これを後押ししている。イスラエルは、10月7日の攻撃の首謀者やその他の戦闘員が排除されるまで、たとえ追跡に数十年を要しようとも、決して手を緩めないだろう。
しかしこの戦略は究極的に無益であり、文字通り火薬庫の上でのモグラたたきという陰惨なゲームに過ぎない。パレスチナ抵抗戦闘員(イスラエルの視点では常にテロリスト)が一人殺されるごとに、より決意を固めた新たな戦闘員が多数現れ、国内外のユダヤ人とその支持者を攻撃し、終わりの見えない暴力の連鎖を永続させるのだ。
この悪循環を断ち切るには、新たな啓発されたイスラエルの思考様式、自己認識、倫理的枠組みが必要だ。それは慎重な自制と、外部敵に対する修復的正義に基づくものでなければならない。
さらにイスラエルは、ガザ及び周辺地域に与えた人的・物的破壊に対し、完全な賠償を支払うべきだ。他国にその費用を負担させることは、公平でも正義でもない。
国内では、全てのイスラエル指導者に説明責任が求められる。国連が既に確認した戦争犯罪の責任者は厳罰に処されねばならない。そうして初めて、共有された安全保障と繁栄に基づく、イスラエルと近隣諸国との平和的共存という持続可能な構想が実現可能となるのである。
本稿終了
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